自分を忘れるくらいの
自分が生きる場をつくるのも
その人のちから
いろいろな前提の存在を無視して
ひとりよがりになりたくないから
外の世界があって、ちょうどいい
久しぶりに部屋の掃除をしたら、
部屋だけでなく、気持ちもすっきり・ぴしっとしました。
部屋がすっきりすると、体も気持ちもすっきりした気がします。
反対に、気持ちがぐちゃぐちゃしていると、部屋もぐちゃぐちゃのままです。
つまり、部屋がぐちゃぐちゃだ、という目に見える要因の前提に、
心がぐちゃぐちゃしているという要因があったわけです。
そのぐちゃぐちゃの解消法を、目に見える部屋のぐちゃぐちゃに求めて、
心をすっきりさせることができたという一連の流れが、ちょっと不思議な感じです。
自分の内面世界(気持ち)と外界(目に見えるもの)とは、
想像以上に連動しているもんだなぁ、と妙に実感したお掃除でした。
人は誰でも歳をとります。
それに伴い、外からの見え方(立場)も、自分の内に築くものも、変化しています。
自分なりの筋を通して、魂を削ることなく生きていくには、
そのときその瞬間、それに応じた筋の通し方を、感じて考えなくてはなりません。
さっきまでは正しいことでも、今の自分にとっては正しくない。
その筋の通し方が、自分自身に内在するプラス要素よりも
マイナス要素と多く結びついてしまうと感じた瞬間、
外からの見え方も、自分の内部構造も、
すでに変化していることを感じ取れなければ終わりです。
更新が滞ってから、はや4ヶ月。
2006年度初の更新です。
時がたつのは早いもの。
気づけば2006年の3分の1が、終わりそうなことに驚きです。
微妙な心の移ろいは、その時かたちにしなければ嘘になってしまうので、
たとえどうでもいいように見えることでも
毎日かたちにすることを
ここに誓います!