探していたもの 知りたいもの
すべて自分の中にある
最近は、朝起きても真っ暗です
「朝=おひさま」のイメージが強い私にとって、
それはなんだか少しがっかりしてしまうことです
「暗いし、また寝ようかな」という悪魔の声すら聞こえてきます
けれども起きてしまえば、朝焼けを毎日見ることができるので、
そこでマイナスを飛び越えて、プラスに転じます
朝焼け分のプラスが、次の日の暗い朝を少しでも相殺してくれれば
どんなに素晴らしい朝を迎えることができるでしょう
ただ私の脳ミソは、プラスをそのまま蓄積することができないようです
そのプラスを、どこかに落としてしまうようなのです
朝起きようとするときには、朝焼けはまだまだ深いところにいます
少しずつ、少しずつ、朝焼けが私を包んでくれることを願っています
どうやってこの世の中まわっているの?と不思議で不思議でたまらない
いろいろな力と、いろいろな想い
それらが絡まり合い、構造となって機能している
そしてそれを突き動かすのは、人間の感情
それは側面であると同時に、全体である
そんなことを、はじめて肌で感じる今日この頃
半年間がんばってやっと、小さい頃に感じていたことを
少しずつ思い出してきた。
記憶って、空白だらけ。
そこにあったことすら、忘れてしまう。
『魔法を使えるようになりたい!』と小さい頃本気で思っていたことを、
最近急に思い出しました。
念力で物を動かそうとしたり、空を飛ぼうとしたり(うちわで)、
昔はけっこう果敢に挑戦したものです。
けれども大きくなってしまうと、あんなに強く思い描いていたこと自体、
案外忘れてしまうものなんですね。
大きくなるにつれ、見る夢もだんだん変化していきました。
最初は魔法を使ったり空を飛んだり、
自由気まま、意の向くままにやれたのに、
大きくなるにつれ、飛行距離・飛行速度・飛行高度がどんどん低下していくのです。
今見る夢なんて、屋根と屋根との間をぴょんぴょん飛ぶくらいのもんです。
屋根の上さえ、飛べなくなってしまうかもしれません。
・・・間に合わなかった!!
11月11日11時11分。狙っていたのに!!
ぞろ目ってだけで、世間では価値になるんですよね。
日銀の社員がぞろ目番号の紙幣収集をしていたという事件は記憶に新しいですが、
このように同じ一万円でもぞろ目ということで価値が高いとされるようです。
確かに、数字がそろったら嬉しいですし、なんだか縁起が良い気さえします。
実際にわたしも、11月11日の11時11分を狙っていました。
(瞬発力が足りなかったけど)
けれども、価値って一体何なんだろう、って思わずにはいられません。
本質的には何も変わらないのに、ただ数字がそろうだけ。それだけで価値。
そんな価値がある一方で、自分にとってはとても価値があることでも、
他人にとってはどうでもいいことなのかもしれない。
結局は、価値とは多数決なのかもしれません。
主観的世界から客観的世界を貫くような価値を、創っていくしかないのです。
まかない種は生えてこない。
自分で種をつぶさない!
人生種まき、種まき。
苔も抹茶も、なんだか似てると思いませんか。
ほっこりとやわらかいグリーンが、脳みそを和ませます。
地図を読めないオンナとは、まさにわたしのことです。
地図を読めないというより、頭に地図を描こうとしていない。
なんとなくやるのがめんどうくさくて、そのままにしてしまっているけど、
このままじゃやばい!と、今日迷子になって痛感。
本当は頭につくらなきゃいけない“回路”を、「めんどくさい」の積み重ねでそのままにしてる。
このままにしてたら、またどんどんめんどくさいが積み重なって、
ますますやることが難しくなってしまう。
そんなことを繰り返していたら、一生“回路”はできないまんま。
“回路”はどんどん衰退していく。
衰退していく“回路”への恐怖は、小学校の頃から感じていたはずなのに。
※ 本格的に迷子になったので、自分を慰めるついでにドライブしました。